専業主婦になった事情は切迫流産による退職

大学生の頃、自分は結婚したとしても、仕事はずっと続けるつもりでした。

 

結婚なんてしないだろうと思っていた学生時代とは違い、社会人になると、それなりの出会いが少しはあり、結局15年前に結婚。
結婚後も仕事は続け、仕事のキリの良いところで、夫との新居へ引っ越すとともに、転勤願いが受理され、無事に新居から通勤を始めました。

 

その1年後に妊娠。
両親は初孫ができた事に大喜びし、私達夫婦も喜び、会える日を楽しみにしていました。

 

特に体調に変化は無いものの、妊娠初期、寒い季節の中の外出が、短時間でも辛く感じるようになりました。

 

 

そんな中、高速バスで東京に行く事になり、バス停に行きました。
高速バスは、独身の頃からよく利用しているので、馴染みのある乗り物でしたが、この日に限り、なかなかバスが来ませんでした。
かと言って、田舎なので、タクシーは無く、JRの駅も無く、そこで待つしかありませんでした。
関東でも寒い地域で、地面の水溜りは凍っているような状態です。
結局、1時間も寒い中に立ってしまい、都内に着くころには、少し腹痛がするようになりました。

 

初めての妊娠という事もあり、少しの腹痛くらい全く気にもとめませんでしたが、2日続いた事で、さすがに気になり、急きょ、診察を受けたところ、出血は無く、胎児の心拍もあるので、自宅で静かに過ごすように言われました。

 

上司に事情を話し、仕事はしばらく休む事にしました。
しかし、数日後出血が始まりました。
気が動転し、病院に行かねばと慌てくためいたり、救急車を呼ぼうと受話器を取ったり、寝れば治るんじゃないかと思って 、急に横になってみたり、取り乱しました。
結局、自分で病院に行き、そのまま緊急入院。
絶対安静の中、毎日胎児の心拍確認と、お腹の張り止めの薬の点滴が続けらました。

 

しかし、数日後、体調が急変、強い腹痛が定間隔で始まり、出血量が急に増しました。
急きょ診察が行われたところ、2日前まで心拍があった胎児の心拍はとまり、しかも既に外へ出かかっているとのことで、すぐに進行流産として処置が行われました。

 

そして、出血が収まってきたその日の夜に、空っぽになったお腹であっけなく退院となりました。

産の処置をした隣は産室で、妊婦さんの声や赤ちゃんの産声が聞こえてます。

こちらは地獄だけど、あちらは天国。

すごく惨めな気持ちでした。

 

たった2~3cmの小さな胎児でしたが、存在感だけは家族で一番の大きさである事を実感しました。
そして、その喪失感と悲しみはとても大きく、紙オムツのCMが始まるとチャンネルを変え、外を歩くと赤ちゃんがベビーカーに乗っているのを目にするので、外に出るのも嫌でした。
半月後に職場復帰したものの、仕事中に急に涙が出てくる事もあり、涙を見られないようにする努力をしていた事を思い出します。

 

結局、初めての妊娠でいきなりの流産という経験から、妊娠すると、自分の気持ちに体がついていかない事を実感しました。

 

流産の後は、自分の行動全てが悪いように感じ、私の場合は、妊娠したら退職した方がいいのかもと思いました。

 

その半年後、再び妊娠。

また、同様に出血が始まりました。

 

ある日、大出血があり、ショックのあまり、トイレに座りこんで動けなくなりました。
出血は止まったものの、これで、仕事をやめる決心がつきました。

 

今の私には、仕事を続けることよりも、自分の子どもの命を育み出産することが大事なのだと思ったのです。
翌朝、上司に電話で体調を報告し、退職することを伝えました。

 

体調が不安定で、いつ腹痛や出血が起きるかも分からないため、退職の手続きがなかなかできずにいましたが、安定期に近づいて体調が少しマシな日に、久しぶりに会社に行き、各部署への挨拶や事務手続きを終えました。

 

 

退職後も、急に体調が悪くなる日があり、ひたすら安静の日々が続きました。

結局、退職して半年後、無事に第1子を出産できました。

 

しばらくしたら仕事を始めようと思ってみたものの、専業主婦になったのなら、この際、更に複数の子を産もうと、仕事はせず、以後10年以上、育児に専念することになり、4人の子どもに恵まれました。

 

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